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クリスマスの飾り付けと保育の原点 

数年前の12月24日、私はある保育園にいた。
職場の一日研修で、保育園で一日実習させてもらえといわれたのである。クリスマスイブに。
園長先生は
「保育の原点を知って頂くために是非0歳児クラスに」
と仰り、私は0歳児クラスでその日一日を過ごすことになった。いやな予感はした。

保育の原点、甘くねえよ。

まず、保育の原点との出会いの時期が悪かった。
これが8月とか、夏ごろだったら、保育の原点たちは一日の殆どをお休みになって過ごすのだそうだ。
ゆえに、特にすることもなく(夏に行った人談)ゆったりと保育の原点について保育士の先生たちと語らうことができたのだそうだ。

しかし、私が行ったのは12月。
保育の原点たちは、ある程度育っている。
まず、知らない人に心を開かないというスキルを身につけている。
どこの馬の骨だか分からないような女に恥部は晒さないのである。
おむつを替えさせてくれないのである。
全身の筋肉を突っ張って脱衣を拒否である。
そして、ミルク飲みにも独自の飲み方というものを身につけている。癖があるのである。
その癖から少しでも外れた角度で哺乳瓶を傾けたり、自分で持ちたいのに手を添えたりしたりすると、

 →飲まない
  泣く

というコマンドがあらわれる。
迂闊なことをすると、

 →飲まない
 →泣く

というバグだろうそれはという選択肢を平気でする。それが保育の原点。

離乳食も、口を開けたタイミングとスプーンで離乳食を流し込むというタイミングがほんの少しでもずれると、瞬時に、

 →食べない
 →泣く

となってしまう。それが保育の原点。

自分は勘が悪いので、クラスの子殆どに泣かれてしまい、自分の方が悲しくなってトイレに引きこもり、おむつ洗い係と化していた。(布おむつ方針の保育園だった)
洗うべきおむつは次から次に出てくるので、
「あたし洗いまーす!」
と、せっせとトイレに足を運んだ。逃げである。
多分、自分は母親にはなれないだろう、そこまで自分を追いつめながら12月の寒空の下、冷水でうんちを洗う私。惨めである。

そんな惨めな状況なのであるが、クリスマスイブだったのである。園内は一面クリスマスの飾り付けで覆われていた。
玄関のクリスマスリース、クリスマスツリー、壁面。あちらこちらに置かれたサンタさんの人形。
その場にいるだけで浮かれてしまいそうな飾り付けが、保育園全体になされていた。(トイレ以外は)

私がへばっているのを見て、頃合いをみて園長先生が私を園長室に連れ出してくれた。
穏やかな、女性の園長先生である。
0歳児は言葉が通じないし、意志の表現を泣くことでしかできないからヤダ、というようなことを言うと笑ってらっしゃった。

「それにしても、見事な飾りですね。いつ頃から準備なさるんですか?」

そう聞くと、準備はだいぶ前からするんだけど・・・と園長先生は答えてくれた。
「飾り付けをするのは20日からなの」
12月19日、子どもたちが帰ってから園内をクリスマス一色に飾り立て、25日が終わると、全部取り外してお正月モードにしてしまうらしい。
「あんまり早くにクリスマスっぽくすると、すぐに飽きちゃうし、当たり前になっちゃって、本番のときのわくわく感が薄れちゃうような気がするの」
それは凝縮されたサプライズだ。
私はそれは、とてもいい、と思った。

いい、と思ったが、私には保育の原点たちのうんちおむつを洗うという仕事が残されている。
私は、にこにこと笑みを浮かべる園長先生の部屋から、0歳児室へ(正確にはトイレへ)帰っていった。

保育園の先生、私が尊敬する職業ベスト1である。あんなに疲弊した日はねーよ。
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[2006/11/18 03:01] どうでもいいこと | TB(0) | CM(0)

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