私の父(故人)は商業デザイナーという仕事をしていました。
版下業とイラストと、のちにデジタルの波に乗れずに(あと、ものすごく性格が悪くて、誰とも人間関係を築けなかったというのもある)没落しましたが、右手1本で事務所を構え、子ども3人を大学まで出してくれたので、腕のよい職人だったんじゃないかなぁと思います。
私が9才か10才か、そのくらいのとき、こんな出来事がありました。
父はそのころ、学習教材の仕事もしており、副教材というのでしょうか、ドリルとか問題集とかに載せる挿絵であったり、ちょっとしたイラストとか、図とか、そういうものを描いていました。
ある日、夕食が終わって、すっかりもう夜になったころに、我が家の電話が鳴り、しばらくたってから慌てた様子でその学習教材会社のかたがお見えになりました。父の担当のかたではなく、切羽詰まった様子で、明らかに問題が発生してのっぴきならない状況であるのはすぐにわかりましたので、
母によって速やかに子どもたちは2階の子ども部屋に追いやられ、それでも追いやられた子ども部屋にまで1階の事務所のほうで大人たちが深刻に話しているぴりぴりとした空気が伝わってきました。
やがて教材会社のかたは帰っていき、父は事務所件仕事部屋で、仕事を始める準備をしているようでした。
もともと父は九時五時で仕事をする人で、よほどのことが無い限り夜に仕事をすることはない人でしたので、
恐らく明日の朝までに仕上げなければならない案件が入ったのだと察しがついた私は、好奇心に勝てずに事務所に入ってしまいました。
叱られることを覚悟していたのに反して父は、
「来てごらん」
と静かな声で私を呼びました。
父が見せてくれた原稿を見た瞬間、私は、思わず
「あっ!」
と声を発していました。
国語の副教材に挿絵として載せる予定だったのでしょうその絵は、
教科書の挿絵を模写した、としか言いようのないものでした。
副教材の挿絵に描かれるのは、国語だったら教科書の挿絵の雰囲気に寄せたオリジナルの絵でなくてはいけません。教材会社の人は、これを載せるわけにはいかないと、替わりに明日の朝までに描ける人をあたっていたのでしょう。
小学生の私でさえ分かることなのに、その模写の絵は、むしろ堂々と描かれているようにさえ見えました。
「なんで?どうして?」
いけないことなのに・・・父を見上げると、父は静かに言いました。
「これを描いたかたは今年50才になる大ベテランのデザイナーのかただ。ぼくはこのかたをとても尊敬している」
なんで?この人の絵はとても綺麗だけど、それでもこの人はやってはいけないことをした。
その思いが顔に出ていたのでしょう。父は強い声で続けました。
「このことをしっかりと覚えておきなさい。ぼくが50才になったとき、ぼくはきっとこのかたと同じことをするだろう」
ガツンと頭を殴られたようなショックを忘れることができません。
父は確固たる独自の画風を持っている人だったけれども、今描いている絵が他の誰かが描いたものを無意識に真似てしまっていないか、
自分が考えたと思い込んでいるアイディアが、どこかで見た他の誰かのもので、それを無意識に自分のものだと思い込んでしやしないかと、いつそれをしてしまいやしないかと、その揺らぎに絶えずさらされていたのでしょう。
大人になるにつれて、いや、色んな漫画家さんや画家さんから魅力的な影響を受けるようになって、父の「自分も同じ過ちを犯す」という言葉を身に沁みて感じるようになりました。
挿絵の模写をしてしまったデザイナーのかたも、苦しみのあまりそうしてしまったのだろうと、理解できるどころか、どんなにか苦しかっただろうと思ってしまう自分がいてしまいます。
幸い、次の日の朝までに原稿は完成し、更に幸いなことに50の年になっても、というか死ぬまで彼の予言は(少なくとも私の知る限りでは)あたらなかったわけだけれど、
あのときの父の年齢を越え、どちらかというと50の年に近くなってしまった。父が語ってくれなかったら、私の揺らぎはさらにとても恐ろしく、孤独なものに感じ、絶えずそれに怯えていかなければならなかったでしょう。
父はプライドが高く、繊細で、死ぬほど性格が悪く、不器用で、むしろ悪人と言い切っていいほどの人だったけれども、
それでも私を支えてくれているのは、職人としての父の覚悟なのです。
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過去の記事でお父様のことを怖がっていらした印象があったので、このように捉えていらっしゃるのが意外でした。わたしは20年煩っていますが、毒父をあやちさんのように捉えることができません。少し羨ましく思いました。
[2018/02/07 00:37]
[
編集 ]
>2月7日00:37のコメントさん、コメントありがとうございます。
父のことを多少なりとも書けるようになったのは、やはり父が死んだからだと思います。
今でも父に似た背格好の人を見ると咄嗟に沸き立つ感情は恐怖ですが、彼はこの世にいないという事実が私を冷静にしてくれます。
父が余命宣告をうけてから死ぬまでのとても短い間の出来事と、その翌年に亡くなった叔父の不思議な縁については、いつか文章に書いておきたいと思っていました。
父を漢字一文字で表すと「悪」だと思いますが、今は田舎から出てきて、何が正解か分からないなりに、子供たちを(自分のやり方で精一杯)育てようとした一人の男性だったのではないかと思います。
でも、これだけの言葉では語り尽くせないので、やはり父のことは書いておきたいと思います。
思い立たせてくださってありがとうございます。
[2018/02/17 00:34]
あや
[
編集 ]
>2月7日00:37のコメントさん
大変失礼しました。
我が事ばかり書き連ねてしまいました。
とても長いこと患っていらっしゃるとのこと、心よりお見舞い申し上げます。
今日、明日、明後日と、これから続く日を少しでも心穏やかに過ごされますよう。
[2018/02/17 11:57]
あや
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