スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

[--/--/-- --:--] スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-)

ポニョのお父さん 

多分これから書くことは、かなりどうでもいいことなうえに、もうたくさんの人によって書かれていることだと思うので読まなくていいと思うー。
あと、記憶があやふやな部分はうっかり調べてしまうと思考がそっちに流れていってしまうので、あえてノー調べで書いているので、色々間違っていると思うけど許してちょ。

夏なんで、ポニョが見たくなった。

♪ポーニョポニョポニョ ガキのころー
 お前とオレはダチだったー♪

のポニョよ。(題名すらちゃんと覚えていないが)

多分、夏に公開された映画だったから(?)見たくなったんだと思う。

で、このポニョなんだけど、公開されたときはあんまり評価が高くなかった・・・? ような気がする・・・
少なくとも「千と千尋の神隠し」ほどの評価ではなかった気がする。

が、私にとっては、かなりピンとくる作品だったのである。

何がって、ポニョのお父さんがである。

あのポニョのお父さんが、私にとっての「父という存在」にドンピシャだったのである。

私のいう「父という存在」というのは、別に=アタシのトーチャンというわけではなく(近いけど)、私という存在にとっての「支配者・為政者・あるいは社会そのもの」みたいな感じのものである。

基本的にスタジオジブリ作品(←?)は冒険物語が多い気がするのだけれども、ジブリ作品に限らず冒険物語は「父親という存在」があると結構すすめづらいものなので、「父親という存在(以下「父親」と表記)」は、序盤でとっとと退場していただくパターンが多いと思う。

ナウシカのトーチャンが分かりやすいんだと思うけど、ナウシカのトーチャンは実際、風の谷の王(支配者・為政者)であり、「腐海と人間は共生できない」みたいな「社会観」の象徴みたいに描かれてる。
あの、ナウシカの回想シーン(♪ラン ランララ ランランラ♪のとこ)では、大豪院邪鬼(←この字はさすがに調べた)かよってくらいデカいし、子どもの目から見たら「とうてい抗えない邪悪なもの」的な感じがする。

で、あのトーチャンがあのサイズでずっと出張られたら

「鬱陶しいことこのうえない(これも「父親」の条件だと思う)」

ので、早めに退場するのだと思う。

「ラピュタ」はパズーにしろシータにしろ父親不在の物語だが、どっちも「ラピュタ」というファンタジー(世界観)を父親から植え付けられているので、最後に冒険の成就として「バルス」することによって、「父親」からの支配を脱却しなきゃいけなかった。んだと思う。
「魔女の宅急便」のキキは娘を意のままに操ろうとする(冒頭でキャンプに連れて行こうとするシーンがあるよね)父親から「修行にでる」という手段でその支配から逃れるし、
「千と千尋」は、あの父親を出すことによって、「この世界では『父親』にさほど意味はありません(要するにナウシカのような特殊な世界観はない)」と見る人に断りを入れたうえで、でもまあ邪魔なんで両親揃って一応豚にしてみる。で、結局あれは冒険の話(少女が成長する的な意味の)じゃなくてただの作り話(←?)ですよ、ということを確認させる意味で豚は両親に戻り、千尋は両親の元に戻る(結局何も起こらなかった)。

「もののけ姫」は、支配からの脱却の物語(冒険譚)ではなくて、サンは「原始的なもの」の記号として、アシタカは「文明的なもの」の記号として、「2つ(2人は)は共存すること(一緒に住むこと)はできないが、一緒になにがしかをすることはできるかもしれない(例えば仮定として子を残すとか)」という物語として捉えると、最初っから父親(支配するもの)はいらないので登場しない。
「紅の豚」と「ハウル」は全然私は分かんなかったので多分そういう話ではないんだと思う。

で、その「父親」として結構いい線をいっているのが「となりのトトロ」のお父さんだったと思う。
特に、あの「何してんのか全く分からない研究をしてるくせに普通のお勤め人みたいなそぶりをしている感」が、私の持つ「父親」に結構近い感じだった。

それが、あのポニョのお父さんに至っては、「もう全くなんなのか分かんないけどとにかく娘を支配しようとし、娘の冒険の成就を阻止するためだけにしつこく登場する」んである。
もう本当に鬱陶しい。
んであのお父さんの持つ「世界観」が、確か陸に上がってきたときにポリタンクみたいなのを背負ってなにがしかを道に撒きながら歩いてたと思うのだが、
「一歩外に出たら全く通用しない常識を家の中という世界で強い、そこを支配しようとする」
「父親」の感じをもうとってもよく表していたと思うのだ。そこがキャッチーだった。
ポニョの世界にはもう1人お父さんが登場するのだが(あの男の子のお父さん)、彼はあの男の子(名前は忘れた)に、
「海」
というファンタジー(世界観)を与えるためと、あと、「魔女の宅急便」のトンボが同じ役割を持っているんだと思うのだけれども、リサの女性性を際立たせるために登場しているんだと思う。
ジブリの女性キャラはわりと「原始的なもの」の記号を見る人に印象づけがちなので、ポニョのお母さん(こっちはもろに「原始的なもの」の記号だと思う)と線を引くために女性性を際立たせる必要がある(リサがお父さんを信号で罵るシーンがあるよね)のかなと思った。

要するに何が言いたいかというと、今なんとなく(特に若い人が)感じている社会の閉塞感とか行き詰まった感じ、もうどこを剥いても小沢一郎が出てきてがっくしみたいな(政治批判じゃないよ)あの無力感みたいなものを包んでいるのは、ポニョのお父さんみたいな珍妙な、不条理な、理解しがたい、一方的な論理なのかなあと、あ、結局政治の話になっちゃうのか?

どっちにしろただ

「ああ、ポニョ見たいな」

って思ったっていうそれだけです。
関連記事
スポンサーサイト

[2011/08/14 22:49] どうでもいいこと | TB(0) | CM(2)

そううつ且つ低音型難聴持ちなのでいつも勝手に親近感を抱いていますw

映画評もこれくらいわかりやすく分類してくれたらいいのに!と思いましたw
自分がうっすら感じていたことが言語化されるとなんか爽快ですね。
あと「紅の豚」と「ハウル」は私もよくわかりませんでした(というか最後まで集中して観れた例が無い笑

一応まだ若いと言える世代なので、どこを剥いてもというかどこを向いてもというか、とにかく取り囲まれてる感はみな感じているんでしょうね。
[2011/08/29 18:46] ふー [ 編集 ]

ふーさん、はじめまして。コメントどうもありがとうございました。

かなり自分勝手に書いた文章だったので、コメントがつくとは思っていなかったので嬉しいです。

若いかたが感じていらっしゃる閉塞感はやはり強いのでしょうね。

ポニョはもうちょっとしたら再評価されると思うー(←まだ言うんかい)

[2011/08/30 03:57] そううつだもの あや [ 編集 ]

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://souutudamono.blog47.fc2.com/tb.php/1107-7d58ebc9


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。