今から8年ほど前、甥っ子(仮にツィーと呼ぶ)(この呼び名は母の呼び間違えに由来する)2歳前後の頃。 姉(ツィーの母)は実家の2階の一室でツィーと過ごしていた。 暑い頃だったのか、窓は開いていた。 一瞬、目を離したことにも気づかないほどの短い間に、ツィーは姉の傍を離れ、開いていた窓に幼い手を伸ばした。 そして脆くなっていた網戸もろとも、コンクリートで塗り固められた地面へと落下した。 姉は絶叫した。 「ツィーが落ちた!」 ここで弟(ツィーの叔父)が登場する。 彼は当時自室で宅浪していた(二浪中)。 パーカに膝の出たスゥェットという浪人スタイル。 そして無精髭を生やしタオルを被った上からパーカのフードをさらに被り、下駄で歩く姿は近所の人も目を合わさない有様であったと当時を知る人は語る。 その彼は、姉の声を聞き、ツィーが階段から落ちたと思ったらしい。 そしてこの辺が彼の理解しがたい点なのだと思うのだが、彼は、 「俺も子どもの頃階段から落ちたことがある」 ということを報告するために「俺も俺も・・・!」と部屋を飛び出してきた。 勿論、すぐに彼は状況がそんな呑気なものではないことを悟るのである。 そして、一番冷静だったのは彼だった。 すぐさま119番通報し、半狂乱になっている姉を、同じくしどろもどろになっている父(ツィーの祖父・自営業にて在宅)に預け、落ち着いたら病院にタクシーで来るように伝えた。 そしてやってきた救急車に保護者として乗り込み、病院に行ったのである。 その後彼は救急車の中や病院の中のありとあらゆる人に「お父さん」と呼ばれることになるのだが、 「お父さんはこちらでお待ちください」 「いや俺お父さんじゃないし」 と言うのがめんどくさくなり、途中からもうお父さんでいいやと思ったそうである。弟当時まだ十代、田中マー君(楽天)より年下である。 そしてここからが本題なのであるが(長!)、そうなのである、問題は、 「あの恐怖(そんなでもない)のMRIを、子どもはどうやってうけるのか」である。 そのときもう病院で弟に合流していた姉に当時のことを聞いてみると、正解は、 「睡眠薬で眠らせて、眠っている間にMRIする」だそうである。 さて、2階から落ちたツィーであるが、完全に奇跡的に無傷であった。 というのも、彼が落ちた場所には、たまたまその日父が使ったゴムホースが置かれていたのである。 ゴムホースの束がクッションの役割をしてくれて、ツィーはもしかしたら失っていたかもしれない一命を取り留めた。 不思議なのは、いつもあれほど几帳面な父が、なぜあの日に限ってゴムホースを片づけなかったのか・・・ということである。 この話は、 「あやに話したらパニック起こす」 という母の判断により、一年ほど家族に箝口令が出された。 私が離島で働いていた頃の話である。
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「私、とっても疲れているんです」 と私は言った。 そこは 風変わりな珈琲豆屋で、私は壁にずらりと並んだ商品の名前を記した紙を眺めているところだった。 別に商品を選んでいたわけではない。私は「世界で一番珈琲の味に疎い珈琲豆屋の常連」という自負がある。 とにかく、私は疲れていた。とても疲れていた。 普段から忙しく働いている方は気づいていないかもしれないが、予定というものはたった一つ入れただけで、連鎖的にその前後に降ってくるものなのだ。 お喋り好きな人のところに情報が集まってくるのと似ているのかもしれない。 特にその日は朝から夕方まで予定が詰まっていて、殆ど分刻みのスケジュールになっていた。優雅に珈琲飲んでるけどな。 主治医が知ったら説教喰らうこと間違いなしの日程である。 この件は、慎ましやかに伏せておかなければならない。 店主のスプーンさんはエマを扱う機関士ルーカスのように忙しく珈琲豆を焙煎する機械を操作しながら言った。 「そんなに疲れているんだったら、珈琲じゃなくて栄養ドリンクを飲んだらいいのに」 ほんとだ。 なぜ、そんな簡便な方法に思い至らなかったのだろう。 疲れたら、栄養ドリンク。 社会人の基礎の基礎である。 私は殆ど現代人的な感覚を失ってしまったのかもしれない。 私は早速中州陸橋のふもとにある自動販売機で栄養ドリンクを買い、仁王立ちで飲んでやった。 頭のスイッチが切り替わり、テトリスのように頭の部品が回転して収まるべきところに収まるものが入った感覚がした。 私は現代社会人モードに切り替わり、次の目的地へと急いだ。
今の深田恭子になら、ラムちゃん役だって任せられる・・・(ガクリ)
3月13日(金)に、MRI検査を受けるために病院に行ってきた。 耳の器質を調べるための検査で、 結果をいうと異常なしだったので特筆することもないのであるが、滅多にできない体験だったので書いてみる。 7時30分、前回同様、通勤途中の旦那に病院前で落とされる。 総合受付を済ませ、耳鼻科受付も済ませ(どっちもカードを出すだけである)、耳鼻科待合室で待つか、レントゲン室前で待つか迷ったが、レントゲンの受付の仕方が分からなかったので耳鼻科の待合室で時間を潰すことにする。 この日は、1時間の待ち時間を有効に過ごすために、姉が、 「この人、アンタそっくりでチョーウケルから読んでみて!」 と貸してくれた、数年前女子を沸かせた「小悪魔ブーム」火付け役の「蝶々」さんという人のエッセイ、「こんな女でごめんあそばせ」 蝶々 マガジンハウス 売り上げランキング: 81577
を読みながら過ごした。 途中まで読んだが、今のところ彼女と私の相似点は見つからない。 そのうち、MRIの受付時間8時20分が迫ってきたので、慌てて耳鼻科の看護師さんに、 「MRIの予約してるんですけど」 と申し出ると、レントゲン室まで連れて行ってくれた。 ここの病院は一応総合病院なので、レントゲン室といっても普通のレントゲン室だけではなく、6種類ぐらいの検査室がある。MRIはその一番奥にあった。 さて、この検査を受けるに当たって、私が一番気を揉んでいたのが、 「一体、何を着ていけばいいのか」 ということだった。MRIは強力な磁気を利用して行う検査なので、金属の付いた服はダメだろうし、スカートも何となく嫌な気がする・・・ 何しろ身内にMRIを受けたことがあるのが甥っ子ひとり、しかも彼も2才ぐらいのときに受けただけなので、そのときのことを覚えているはずもなく(このときの事件に関しては、おいおい書こうと思っている)何の情報もなかったのだ。 結局 「絶対専用の衣服に着替えさせられるはずだから、脱ぎやすい服着ていけ」 という周囲の声で、フツーのジーンズにセーター着ていった。 やっぱり専用着にお着替えだったよ。 そして問題のMRI。 ちょっとSエロい感じの女性技師さん(エスタックイブのCMの山口紗弥加さんぽい)が説明をしてくれるのだが、 内心ビビリまくりなので、機械をよく見ることすらできない。板状のベッドの周りに中身を食べたロールケーキみたいなのがついてるぐらいの認識である。 ベッドに横になると、いきなりエロ技師さんに、 「衣服を巻き込むといけませんので」 と、マジックテープ状の何かで体をソフト拘束。 ヤバイ、声もエロい。 「頭が動くといけませんので」 と、頭の横にスポンジを詰められる。と思ったら、その上から何の断りもなくいきなりキャッチャーの面みたいなのを被せられる。 いや、そんなに大げさなものじゃないと思うけど、こっちは何されるか戦々恐々なもんだから、気分はロビンマスクにされたぐらいのダメージよ。素顔を見られたら、相手を殺すか愛するかよ。(それは違う) 「画像がぶれるといけないので、目をつぶって、開けないでいてくださいね。口も、閉じたままでいてくださいね」 「工事現場の中にいるような大きな音がしますが、動かないでくださいね」 もう紗弥加の言いなり。 私は目をつぶり、歯を食いしばり、そして・・・そして・・・ 何が起こっているのか自分では全く把握できないまま、検査は終わった・・・ ベッドが動いているのか、ロールケーキが動いているのか、それとも何も動いていないのか、それすらも分からなかった・・・ その後、紗弥加と別れ、着替えを済ませ、耳鼻科に帰って結果を待つ。 この科では再診の患者は名字しか呼ばれないので(名前はフレンドリーに省かれる)じっと待つ。 結局、冒頭で書いたように、耳の器質に異常は全くなし。 前回と同じ薬(アデボスコーワとメチクール)を2週間飲んで、その後聴覚検査を受けることになった。 家に帰るとマジでビビってたらしく、爆睡。 4月に映画「レッドクリフ Part II -未来への最終決戦-(何だこの題)」を観に行く予定なので、それまでに治まるといいなあ。
この間友達とASIMOの話題になった。 と言っても友達が何とか展のついでに生ASIMOを見たというそれだけの話だったのだが。 「ASIMOどうだったー?」 と聞いてみると、 「うーん、動きが人間みたいで何か気持ち悪かった」 と。 あー何か分かるわーという、それだけで話題は終わったのだが、この感覚は例えば、 「アシカがバイバイしてるみたいで可愛い」 というような感覚とは全く別のもので、 「人の動きに模して造られた何かの動きが人間に似ていて気持ち悪い」 という感覚がなくなったとき、それはとても恐ろしいことのように思えるのだ。
この記事は一つ前の記事「 低音障害型感音性難聴・春の乱 前編」の続きなのでござる。 3月6日(金)朝7時30分、私は行きつけの耳鼻科の待合所にひとり、 ぽつーん と座っていた。 朝の6時半に旦那に叩き起こされ、通勤途中に病院前で落とされたのである。 しかし診察開始は午前8時30分。あと一時間もありやがる。 しかも予約制の病院なので、朝一番といえども結構患者さんもゆったりと登場するので、今んとこ人っ子ひとりいやしねえ。 そんな電気も点いていない中、寝ることしかできない私・・・いいの、待つのには、慣れてるから・・・ 私が惰眠を貪っている中、ぽつりぽつりと人がやってき始めた。 そしてあと少しで8時30分というときに、鋭い声と車輪のけたたましい音に包まれてストレッチャー登場。 一分ぐらい遅れて先生登場。 「すみません、急患さんが入りましたのでそちらの処置を先にさせていただきます」 申し訳なさそうに我々に説明する看護師さん。 誰かが「どのくらいかかりそうですか」と質問をする。 「それが・・・5分とも1時間とも言いかねる状況でして・・・」 ドラマなんかではこういうときに文句を言ったりする男性とかが現れるものだが、現実には案外こういうとき、人って物わかりがいいものである。 ストレッチャーの上の人、見たしな。 皆さん、どうぞどうぞ的な雰囲気になって、看護師さんは頭を下げて処置室に入っていった。 半分寝ていたので長く感じなかったが、急患さんの処置には、一時間かかった。 その間に看護師さんが私のところにきて、 「予約さんが7人入ってるから、これが終わってからあと一時間ぐらい待つと思うけど大丈夫?」 と言ってきた。 「大丈夫です」 と答えたのだが、この「あと一時間」が辛かった。 この一時間で、私は隣に座った見も知らぬ高齢女性二人によって「今日どんな交通手段でこの病院にやってきたのか」から「息子の嫁の不満っていうわけじゃないけどアレどうかしらねえ」情報まで余すところなくおおくりされたのであった。 いらない情報は速効捨ててやったが、片方の女性が「今日はバスで来た」という記憶が消せなくてイラついている。 そんなこんなで私の診察の順番がきた。(やっと本題である) 低音障害型感音性難聴の診察とは5秒で終わるものなのである。 「ハイ、耳見せて。右~左~、ハイ、キレイね。鼻見せて~。ア、鼻、アレルギー(性鼻炎)ナノネ」 ほらね! 花粉症じゃないでしょ! 花粉症じゃないんだもんねー アレルギー性鼻炎なんだもんねープゥーーーーだ!(私信) 閑話休題 「チョーケーン!」 先生が叫んで、私は聴覚検査室に通された。 いつもここでぐったりするほど疲れるのであるが、この日の人は慣れていたので本当に助かった。 聴覚検査の結果は、順調に左耳の聞こえが悪くなっていることを示していた。 「どんどん悪くなってきてる」 過去のデータを見ながら説明してくれる先生。 「詳しい検査、受けたことある?」 「いや、ないです」 今まで、この病気はストレスが原因で耳の器質的な問題ではないと聞かされていたので、検査を受けようという気になったことはなかったのだ。 「ちょっと詳しく検査してもいいかな。耳自体に問題があるのではないかという不安を払拭するという意味でも」 「はあ」 先生はちゃっと看護師さんの方を向いて、指示を出した。 「来週、MRI予約入れといて」 MRI・・・? MRIって、あの輪切りみたいなやつ? 怖いんですけど! つか、閉所恐怖症なんですけど!! そういうわけで、今週金曜日にCRT・・・じゃないMRI(磁気共鳴コンピュータ断層撮影検査)に入ることになってしまった。 急に検査なんてどうしたんだ先生! 選挙がらみか?(疑り深い) 金曜日ぐらいに続く!
先週の木曜日、仕事から帰ってきた旦那が、何の心の準備もできていない私に向かってこう言った。 「そういえばアンタ昨日の夜トイレで寝てたよ」 待て。大丈夫、これ以上汚い話にはならないから。 うちのトイレ、まあまあ綺麗だし、掃除してるし、頭にGがつく憎いあれも1回も出たことないから。 それに身勝手な言い訳だが、「トイレで寝ていた事実をいきなり突きつけられた当人」であるアタシが多分一番ショックだから。 旦那の話によるとことのいきさつはこういうことらしい。 夜中の2時ぐらい、旦那は私がトイレに行く音で目が覚めた。 旦那はうとうとしながら、 「ああ、トイレだな」 ぐらいに思っていたらしい。 ところが待てども待てども私が帰ってこない。 30分ぐらい経ったところで、 「こりゃおかしい」 と思った旦那はトイレに向かった。 トイレの電気は点いて、換気扇は回っている。(うちのトイレは電気が点くと勝手に換気扇が回るタイプ) ノックする旦那。 返事なし。 強めにノックする旦那。 さらに返事なし。 旦那はドアノブに手をかけて、ドアを開けた。 そこでは嫁が爆睡していた。 トイレで寝るっていうと、新歓コンパで飲み過ぎた女子とかが居酒屋のトイレでよくやっている、床に座って便器の蓋に俯せに突っ伏しているパターンを思い描きがちだと思う。 じゃないんである。 私は、トイレの便器の前のスペース(スリッパとかマットとか置いてあるスペース)に、みっちりと体を折りたたんで寝ていたそうである。 旦那はあわてて私を起こして、理由を問いただしたらしい。 「何でこんなところに寝てるの?」 私は答えた。 「耳鳴りがひどくて・・・トイレに行ったら換気扇の音で少し治まったような気がするから、眠れるかなあと思って寝た・・・」 そうなんである。 私は低音障害型感音性難聴という病を患っているが、10月ぐらいからまた出始めた症状をずっと無視して生活してたんである。 それで、症状のひとつである耳鳴りがどんどんどんどん酷くなって、夜眠れないくらいになっていたんである。 この次の日、早速旦那にブーンと耳鼻科に連れて行かれることになる私なのだが、そこで遭遇する悲劇を、このときの私はまだ、知らない・・・ それにしても、トイレの就寝可能なスペース、今測りに行ってきたら 幅75cm×奥行52cmしかなかったぞ。 閉所恐怖症なのに、よく収まったな、私。 (次回「低音障害型感音性難聴・春の乱 後編」に続く)(多分明日更新)
ごく稀に旦那からカエルコール(「今から帰途につきます」という報告の電話のこと)がかかってくることがある。 特に何の用事があるわけではなく、ごく純粋に、 「今から帰るから~」 というだけのものなのだが、不思議なのは旦那が帰宅するのが、それから4時間後とか5時間後とかになることがままあるということだ。 どこから帰ってきてるのか。 海外か?
姉情報によると小学4年生の甥っ子(姉の子)が、2月にインフルエンザ(B型)に罹っていたらしい。 かかりつけの小児科に連れて行ったところ、タミフルは例の副作用の件で十代の子には処方できなくなったらしく、1月に10才になったばかりの甥にはリレンザという吸引式の薬が処方されたらしい。 ところがこのリレンザという薬についても、医師から、 「タミフルほどではないものの稀に異常行動を引き起こす副作用が出る可能性があるので、2~3日は目を離さないように」 という説明があったそうだ。 甥っ子は2~3年前インフルエンザでタミフルを服用したとき、夜中に突然起きあがって2階から1階へ降り、靴を履いて外に出ようとしたことがある。 幸い1階で寝ていた母が気づき大事には至らなかったが、そのとき同じくインフルエンザに罹ってタミフルを飲んでいた姉も、「体が思うように動かなくなって、起こっていることが夢なのか現実なのか分からなくなる薬だった」と言っていた。 甥っ子は薬が強く効きすぎる体質なのか(私と同じだ)、今回も幻覚を見たらしく、姉に、 「僕の勉強机の前に女の人が立って僕のノートを見ている。すごく嫌だからやめて出て行ってくれるように言って。」 と言ってきたらしい。 姉は仕方なく(?)誰もいない机の前に向かって、 「息子が嫌がっているので、お願いですから出て行ってください」 と言ったそうだ。 しばらくして甥っ子は、 「出て行った・・・」 と言って眠りについたらしい。怖いような怖くないような話である。 それよりも何よりも、甥っ子が姉に、 「僕のインフルエンザが治ったら、お母さん、僕によく頑張ったねって言ってね」 と言った話が、叔母としてはじんときたのであった。
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