誰か、お願いだからバナー変ですよとかつっこんで欲しい。 辛すぎる・・・
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 跳ねっ返りの雲。
ここのところ、気になって仕方がないことがある。 しょうもないことである。 つまり、 「『山口さんちのツトムくん』のツトムくんのお母さんは、なんで田舎に帰ってたんですのん?」 ということである。 単純に考えると、 ツトムママ「実家に帰らせてもらいます!」 ツトムパパ「勝手にしなさい」 という図式が、最も違和感ないんだけど、 それじゃ、一緒に実家に連れて行かれなかったツトムがあんまりじゃないか。 と思ったので、いろいろ考えてみた。 その1 ツトムママ、第2子出産のため、帰省。 これなら、ツトムママがツトムを連れて帰らなかったのも頷ける。(山口家にはツトムパパのお母さんにサポートに来ていただけばよい) 産後の肥立ちのことを考えると、長期間実家に帰っていても全然不思議ではない。 しかし、それだと歌詞がベイビーのことに全く触れていないことが余りにも不自然だし、 あのなんともいえないもの悲しい曲調はなんなんだ、という気がしないでもない。(単なる赤ちゃん返りだよ、と言って欲しい、ツトム) その2 歌詞の中に、この言葉がある。 「摘んだばかりのイチゴ」 つまり、ツトムママは田舎からサラリーマンの(?)ツトムパパに嫁いできた、イチゴ農家の娘さんなのである。 それで、今、実家は農繁期なんである。 イチゴ農家の365日が体に染み付いているツトムママは、農繁期の間だけ実家に帰ってイチゴの出荷を手伝っているのである。 そうなんである。 だからおみやげが「摘んだばかりのイチゴ」なんである。 市場に出すものなので、まだちょっぴりすっぱい状態なんである。 そうなんである。 しかし、親戚が集まって農作業にあたるこの時期こそ、ツトムを連れて行って、じいちゃんばあちゃんを喜ばせてやったら? という気もしないでもない。 たとえ邪魔にしかならなくても、幼いツトムの存在は親戚の皆さんの心を癒すものになるだろうし、イチゴ摘みは、ツトムの情操教育にも良さそうだ。 おかん、なんやってん? 結局、なんやってん? まあ、なんにせよ、帰れる実家があるということはありがたきことである。(ハッピーな結論にはなっていない模様)
 電信柱って、こんなデザート迷彩みたいな色だったっけ・・・? (※画像クリックで拡大)
 以前100円ショップに行ったときに、いつかデコろうと思って買っておいたりんごの形の小物入れを余りビーズでデコってみた。 真ん中のキティちゃんのマグネットも同じときに買ったもの。 鹿児島市与次郎のフレスポジャングルパークの中にある「ザ・ダイソー」は、キャラクター商品が充実していて素晴らしいと思う。 たまに、ここで興奮のあまり憤死(※誤用)するんじゃないかと思うときすらある。  サンリオ商品だけじゃなくてディズニーもあるよぉ    拡大すると、空いてるところは取りあえず埋めとけ精神のみで作成されているのが分かる。 デコ用のボンドがなかったので、そのへんにあったセメダインで代用。 原料樹脂のポリプロピレンが溶け出して白くなった。大味である。 作成後気分が悪くなってきたので、急いで換気した。危ない。 この手の小物入れの中に、何を入れたものかいつも悩む。 もう少し大きいものは、 「ああ、これは手作りのお弁当を会社に持っていくOLさんが、これを第二の弁当箱にして、毎日この中に『蒟蒻畑』を2こ入れて、それを食後の小さな楽しみにする、そんな彼女たちの幸せのために作られたのだな」 と思うことができるのだが。 個別包装の粉薬とかしか思いつかない。 サプリとかだと開けるときにドバーッてなりそうだし。(←ドバーとなった人)
「それにつけてもおやつはカール♪」でおなじみのスナック菓子、「カール」を久々に買って、いざ食べようとしたときに、その開けにくさに驚き、最終的に不本意な開け方に落ち着き、ちょっとイラっとした人は、私だけじゃないと思う。 旦那がノートパソコン用のテンキーを買いに行くというので、某大型電気量販店についていった。 私はテンキーに用事がなかったので、デジタルカメラコーナーで展示物をかしゃかしゃいじくっていた。 ちょうど一眼レフを譲って頂いたばかりのころで、使い方が全然分からなかった。 それでも初心者特有の好奇心で、「絞りって何?」「シャッター速度って何?」といういろんな???でいっぱいだったのである。 でも、デジタル一眼レフカメラコーナーには誰もいなかった。 誰もいないどころか、黒光りしたような、どこか立ち入ってはいけないような、お高い雰囲気が渦巻いていたので、その隣のちょっとごつい系のデジカメコーナーのカメラのところで「Avてなんじゃい」「Pvてなんじゃい」とうにゃうにゃやっていた。 カメラを覗いてはダイヤルカチャカチャ回し、カメラを覗いてはダイヤルカチャカチャ回し、を繰り返していたそのとき、 音もなく店員さんがあらわれ、おもむろに、 「ズームはここですねー」 と言って、また音もなく去っていった。 ・・・ ・・・・・・ズームは ・・・・・・・・・・ズームは ズームは大丈夫デス!行き場のないやるせないような、悲しいような脱力感と共に、「電卓としても使えるテンキー」を購入してごきげんな旦那と帰途についたのであった。 それってとっても便利ね、旦那。
旦那さんと二人暮らしをしているTちゃんに、家の間取りを聞いてみた。 「えっとねえ・・・今でいうと、9LDK?」 9LDK・・・。 どんだけー  、である。 Tちゃんのセレブっぷりはそれだけではない。 去年海に行ったときに、帰りの車の中でTちゃんの携帯電話が鳴った。旦那さんからだった。 「ハァ? 今日ってちゃんと言いましたけど」 いきなり喧嘩腰のTちゃん。 海に行くスケジュールの確認がお互いできていなかったらしい。 仕事先から帰ってきた旦那さんは、Tちゃんがいないのを不審に思い、道を歩いていた(Tちゃんちはメインストリートに面している)おばさんに聞いてみたらしい。 「うちの嫁知りませんか」 「・・・奥様は・・・○時頃、大きな浮き輪とクーラーボックスを担いで、楽しそうにお友達と車に乗ってお出かけになりました・・・」 怖いね、大変だね、 寺の住職の妻!そんなTちゃんは「今の仕事は辞めないし、寺の仕事は手伝えないから!」という条件で結婚したのに、最近、 「日曜の朝のお勤めだけでも出ようかな・・・」 と言っている。 Tちゃんになんか言ってあげて。ほんとに。 今日の本題はそれではないのである。(じゃあ何だったんだ) 今日は半期に一度くらい、私が唐突に「今期はこれがアツイんジャネーノ!」と流行を予想し、そしてスルーされ、そして当たらない、そんなお約束が盛り込まれた定番の、罰ゲームのような話題である。 要するに「私の中の獣が騒いでつい買ってしまいました」という一品を皆様にご紹介する、ただそれだけのものでござる。  今回はこれ→ これ、何・・・? あっ、オーバーオール? あってる? 去年の秋ぐらいから「ナイナイ」と思っていて、そう思い続けていたのに、いきなり、「ナシ」が、 「アリ!」 に変わり、狂ったように探し回って買ってみた。 ハーフパンツ丈・短パン丈・スカート型はたくさんあるのに、ロング丈は案外なかった。 フツーに夏だしな。 でも丈が短いとO脚が目立つので、というそんな自意識過剰がセレクトさせた、バギー型。 トイレが大変。(新しい発見)
この世の仏を見た。 一瞬の幻のような出来事であり、また夕暮れ時の雨の中であったので、しかとはその姿を確認できたわけではない。 おぼろげで、はかない記憶である。 おそらく仏たるもの、衆生界の者にそう易々とは姿を見せないものなのであろう。 曖昧な記憶を辿って、綴ってみる。 ある日の夕方のことであった。 私が助手席に乗る車は、細かい雨に打たれながら国道を走っていた。 私は雨粒で視界の曖昧な窓から外を眺めていた。 「めっちゃきょろきょろするよね」 とはよく言われる言葉だ。 車窓から見える景色は面白い。幼い頃からそれは変わらない。 ちょうど帰途につく人が多い時間帯だった。 雨の日はバス停が混む。 スーパーの前の混み合った歩道のバス停の、小さな屋根に身を寄せ合うようにして、バスを待つ人々が無表情で立っていた。 その中に彼はいた。 白いシャツを黒いずぼんに申し訳程度、一箇所だけinさせて、だるだるに着ていた。おそらく高校生なのだろう。 恐ろしく傷みきった黒い革の通学鞄を抱え持ちにして、両足で部活用のサブバッグを挟んで地面に置いている。 高校生にしては小柄なような気がした。 だが全身のバネが強そうだ。「やんちゃ」という言葉がぴったりはまる。 つんつんに立った髪はいかにも部活帰りという感じだった。 分類すると、サル顔だった。全体的にも、サルっぽかった。 頭に、「緊箍児(きんこじ)」をつけていた。 「緊箍児」・・・「緊箍呪」という呪文をとなえることで輪が収縮し、頭が締めつけられるという輪っかである。 主にサルが脱走しようとするときにお師匠さんが使用する。 ・・・闘戦勝仏。我は見たり。 またの名を、齊天大聖 孫悟空。 めっちゃ孫悟空おるで、と旦那(運転していた)に言おうとしたときには、車はバス停の前を通過してしまった。 ほんの少しだけ、信号待ちで止まっていたのだ。 「何?」 と旦那は言ったが、説明しづらかったので、 「何でもない」 と答えた。いい気分だった。 彼はそのとき、携帯電話で話していた。 大きく口を開けて、きっと笑い声をたてていたのだろう。 服装もさることながら、あまりお行儀がいい様子じゃなかった。でも、なんとなく不快じゃなかった。 きっと電話がかかってくる前、彼は携帯電話で音楽を聴いていたに違いない。 それで、きっと彼が音楽を聴くときに使っているのはこういう全コード型のイヤホンなんじゃなくて、(予想図↓)  こういう、いわゆるヘッドホン型のわりと固い素材で右耳と左耳のアーチを形取る部分ができているものだったんじゃないかと推測される。推測されるっつか、多分そう。(予想図↓)  そこへ電話がかかってきましたと。 彼は、携帯電話本体を耳にあてるために、ヘッドホンをずらしましたと。 ここで、上にずらす派と下にずらす派があるとは思わなんだ。 彼は上にずらす派だったようだ。 結果、ヘッドホンはおでこ周辺に収まり、 ちょうどカチューシャをティアラっぽく、わざと頭に水平につける方式があるじゃない。あれの前後を逆にしたような形となり、 耳あての部分が、気持ちいいぐらいおでこにフィットしたと。 それで、 ブーン(うちの車停車) ↓ 私「あ、きんこじ」 ↓ ブーン(うちの車発車) という流れになったのではないかと。 何が言いたいかというと、サル顔の自覚がある高校生は(高校生に限らず)ヘッドホン選びに気をつけたほうがいいかもしれないということだ。大きなお世話だ。 でも、なんかいいもの見せてもらった。 なむー。
 鹿児島市霧島市にある和気公園に、今年も藤棚を見に行ってきた。 ※「和気公園 藤まつり」のサイトはこちら ※昨年「和気公園 藤まつり」に行ったときの記事はこちら(この日の記事の写真は全て旦那が撮ったものです。)5月3日に行ったのだが、何と「藤まつり」は5月2日で終了していた。 ・・・ラ・・・ラッキー・・・2日まで咲いていた花が急に3日に花勢が衰えるわけもなく、我々は入場料を払うことなく藤を堪能できたのである。(出店もでてたし)  これだけ咲いていれば、充分ってもんである。 さすがに全盛期のあのむせかえるような花の香は失われていたが、風が吹くたびにほんのりと漂ってくる香りは、清涼感に溢れていて空気を浄化させてくれているようだった。  揺れる、揺れる・・・  「白い花」(田中一村・昭和22年)を追いかけて。  なぜか突然白い藤を下から撮るブーム到来。  私が好きな絵ではないけれども、こうなってます的な感じでひとつよろしく。 この藤まつりは、私にとって特別な思い出の場所である。 再び訪れることが出来たのもまた、多くの人の手があってのこと。 そして今年もまた素晴らしい出来事が和気神社で起こった。(笑われるだろうから、書かないけど) 実行委員会の皆様、今年も素晴らしい思い出をありがとうございました。(急にどうした)
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