ショートパンツが流行っているらしい。 丈もいろいろあるらしい。 膝丈の、いわゆるハーフパンツと呼ばれるものから、のび太丈まで。 のび太丈の、要するにとても短い丈のショートパンツをはいている人を見ると、イラっとくる。 多分若さへの羨望というか、僻みである。視点が既に姑なのである。 しかし同じ丈のミニスカートだったら、この上なく嬉しい気分になる。 「イイヨイイヨー」 という気分に。 やはり「ぱんつ(下着の)指数」によってテンションが左右されるのだろうか。 たとえ見えなくても可能性が高い方が嬉しいのだろうか。男か。 ところで、病院に行くのにJRを利用しているのだが、沿線に短大が2つあるので、よく短大生を見かける。 どちらの短大も制服がある。シャツにジャケットにスカート、というプレーンなものだ。 足元を見てみると、 スニーカー+ソックスという子が多い。歩きやすいからだろう。 次いで多いのが、 ローファー+ソックスの子。これも歩きやすいからというのが理由だろう。 ところが、たまに ヒールパンプス+ストッキングという子がいる。30人に一人ぐらいの割合で。 正確に言うと 制服+ストッキング+ヒールパンプス。 この組み合わせ、正直少し変だと思う。見なれないからそう思うのか。 それなのに、私はこの組み合わせに、スゴイエロを感じてしまう。 OLさんが制服にストッキング+パンプスでも、そんなに必要以上のエロは感じない。 短大生にのみ感じる。 これも変だ。
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「明」 という漢字がある。小学2年生で習う。 この漢字、二つの部分から成り立っている。 ひとつは「日」。 ひとつは「月」である。 二つの部分はそれぞれ意味を持っている。 右側の部分、「月」が意味するものは何か。 「月」である。月そのものというより、月の光を意味しているといったほうがいい。 それでは左側の部分、「日」が意味するものは何か。 「日」である。太陽の光である。 日と月が両方出ているから「明るい」んである。 と思ってきた。 と思ってきていいんである。真実である。 ところがである。 それだけでないようである。 「明」という漢字、元々は「 日月(便宜上全角全角で表現させていただきます)」という文字と「 冏月」という文字の二つの字体があったのだそうである。 それが淘汰されて?今の「明」という字になったようである。違ったらごめん。 字体が違うので当然なのだが、「 日月」と「 冏月」とでは成り立ちが違う。 「 日月」のほうは、見たまま、「太陽の光」と「月の光」を表していて「明るい」という意味だ。 一方、「 冏月」のほうは、「月」の部分は「月の光」を表すが、「冏」は窓を表す文字なのである。 要するに「窓を照らす月の光が明るい」という意味になる。 つまり「明」という文字は「お日様と月が出ていて明るい」という意味だけではなくて、「窓を照らす月の光が明るい」という意味もあるのだ。 ということだ。 真実が二つある。 ちょっと衝撃だった。 私は頑固者で意固地なので、よく、 「私のほうが正しい!」 となってしまう。 そのときに、「明」の文字を思い出す。 待てよ、正しいのがひとつとは限らないじゃない、と。 絶対にこうだ、と思いこんでいたことでも、それだけとは限らない。 「漢字文化」をこう教える―『国語教育』スペシャル版 (第2学年)私に二つの意味を教えてくれたのは、この本。(と「漢語林」)
ステンケン摩耶。 ・・・いや、なんでもない。ただ言ってみたかった。 九州南部、梅雨入りである。 そんな雨の中、買い物である。仕事が休みであった姉君が、 「靴を買いに行くから、あなたもいらっしゃい」 と言うのでありがたくご一緒させて頂いたのである。 雨というのは、人をアンニュイな気分にさせるものである。 ファッションブランドが所狭しと並んだフロアを歩くうちに、私は何ともいえない憂鬱な気持ちになっていった。 洋服屋というのは至る所に鏡が置いてあるものである。見ようと思わなくても、歩いているだけで自分の姿が映って見える。 鏡の中に、あの人がいる・・・ ・・・ナカザァワ ジーコ風に言ってみた。 湿気で、髪がまとまらないのである。爆発してるんである。 だから雨の日は憂鬱なのである。 でも、雨の日もちゃんと髪がまとまってる人もいる。例えば私の前を歩いているあの人。 「なぜ、あの人の髪はあんなにちゃんとまとまってるの?」 姉に聞いてみた。 「さあ・・・若いからじゃない?」 かなり投げやりな返事がかえってきた。 姉もかなりアンニュイな気分になっているようだ。 若いからじゃないと思います。縮毛矯正をかけてるんだと思います・・・ 姉が無事に靴を選び、食事も終えたところで、 「ところでアンタはなんにも買うものないの」 と聞かれた。 当面必要なものはないが、夏に備えてカプリパンツを買い足しておこうと思っていたのだった。 いつも行く店に行ってみる。 ごくごく無難な形のカプリを選び、試着し、 「ではこれをお願いします」 と言い、試着室で着替えていると、隣の試着室から声が聞こえてきた。店員さんの声だ。 「あー、ちょっと大きいですね、今5号サイズをお持ちしますからお待ちください」 5号! そんなサイズが、この世にあるなんて・・・! 小さすぎるだろ! 細すぎるだろ! ひまわりだって今6号だぞ!(気象衛星) どんなモデルが隣にいるというのか・・・ 試着室を出るときにちらとでも見てやろうと外に出た。 姉であった。 「いやー、アンタが着てんの見たら急にカプリが欲しくなってさー。色とかモロかぶりだけどいいよね。」 大丈夫。サイズが違うから、モロかぶりじゃないよ。 同じ身長なのにね。不思議だね。 アンニュイを通り越して、ナーバスになりそうな出来事であった。 5号て・・・
そういえば、昨日病院に行ってきたのだった。 続きを読む
この春は、ここ2~3年の春とは明らかに違う。 春を感じる感覚も違うし、何より、急にいろんな人との出会いが立て続けにあるのである。 今日も、新しい出会いをしてしまった。 お昼に「 ゆきちの目線」のゆきちさんと一緒にランチに行った。 他にお店知らないの?って言ってもらっていい。「Cafe 遊野家」さんである。常連気取りである。(過去の紹介記事は こちらと こちら。2回もしてる) ランチメニューもデザートも、オーナーさんとお母さんの食アンテナがビシバシに立っていることを感じられるメニューだ。 テレビでも紹介され、連日大忙しらしい。 存分に食べ、満足した。 その後、ゆきちさんが 「コーヒー豆を買いに行く」 と言っていたので、くっついて行かせてもらった。 実は、今日行くことになるだろうな、と勝手に思っていた。 「 生活の記録」のスプーンさんのお店、「 長島珈琲焙煎店」である。 このお店は、私の実の弟が浪人時代に通っていたお店である。私は初来店。スプーンさんとも初対面。 「アヤデス」 と言うと、スプーンさんは「想い人のお面が取れたらのっぺらぼうだった人」みたいに驚いてらっしゃった。 そうね・・・ホラ・・・アタイ・・・一応清純派やってるからさ・・・ スプーンさんは、私の中で感覚とか観念とか感情とか、言語では上手く説明できない領域にカテゴライズされているようなことを、明瞭に適切に言葉にされて語られるかただった。 スプーンさん界隈では、今 この本が話題になっているらしい。 「とかく『理性』に重きを置きがちで『感情』を軽んじる傾向があるけれども、そうではなくて、感情と理性が相互に作用しあうのが理想的な状態だ、というようなことが書いてあるんだよ」 と教えて頂いた。 「『後悔や悲しみ、それを悩むことが人生を豊かにする』ともあるよ」 ということも。悲しみにぶつかったときにそれを理性で押し隠すのではなく、真正面から悲しみにぶつかり苦しみむことが人生であると。 私は最近あるオジサンに言われた言葉を思い出していた。 私にとっては小さい頃から知ってるただのオジサンだが(失礼)心理の専門家だ。 そのオジサンが、私の病気のことで、こう言った。 「病気っちゃあ病気やっが、アンタは昔からむっかし女の子やったが。思うように生きんね。人生を妥協したらいかんど。 (病気のことは病気で仕方がないが、あなたは昔から気むずかしい生きにくい女の子だったよ。自分の思うように生きてみなさい。人生を妥協してはいけないよ)」 同じことを言っている、と感じた。 スプーンさんは、私を見て、 「笑い顔が弟さんに似ている」 と仰った。 無愛想で不器用で人見知りが激しくて限りなく負のオーラを出していた浪人時代の弟が、この珈琲店では笑っていたんだ。 そう思うとちょっと泣きそうになった。(注:弟は生きています) そしてこのお店でも弟は「歴代三指に入るくらい変わった客」として受け止められていたことを知り、違う意味でも泣きそうになった。
とある集まりに行ったら、5人のうち4人が、5本指ソックスを履いていた。 つまり、私以外の4人が、5本指ソックスだった。 みょーん。(疎外感を感じる擬音) 私は、幼少の頃より母から「よそ様のお宅に伺うときは靴下を履きなさい」と育てられたにもかかわらず、裸足だったのだ。(サンダルだったから) まあ、それはともかく。 なになに5本指ソックス、流行ってんの? 流行ってんの?というより、そこまで定番化したのか、と感慨深い感じだ。 何年か前、5本指ソックスが出始めた頃、それを履いている人がいると、 「ああ、この人は水虫なんだなあ」 と思っていた(スゴク失礼。ゴメンナサイ)。 そのうち、健康にいいらしいことや、足のふんばりがきくらしいということを聞いて、自分でも家では履いていた。 でも、洗濯するときに、足の指のひとつひとつに、洗濯ゴミが溜まっちゃうんだよね。それが嫌で最近履いてなかった。 外に出るときは大抵裸足だ。野生児という意味ではない。基本的に冬以外はパンプスやサンダルを履くときにストッキングをはかないのだ。 そうこうしているうちにこの盛況ぶり。 「もう普通のソックスは気持ち悪くて履けない」 と言っている人までいる。 スゴイ中毒ぶりである。 そういえば、もうすぐ入梅する。 5本指ソックスだったら、梅雨のじめじめした湿気から足元を救ってくれるかもしれない。 たんすの隅に丸く畳まれた私の5本指ソックス(ユニクロ製)を復活させようかな、とちらと思った。
 一ヶ月ほど前、久しぶりに会う友人への贈り物としてデコったフリスクケース。 デコものは嬉しい人とそうでない人といるかなと迷ったが、フリスクなら中身入ってるし、そう邪魔にならないかも、と勝手に思って作ってみた。 その友人をイメージして、色は紫、整然と、大人っぽい感じに・・・なってるかどうかは分からないが。 友人はちょっと驚いていたが笑って受け取ってくれた。 友人からは、お茶とメトロポリタンミュージアムのマグネットをお土産にもらった。 メトロポリタンミュージアム、行ったことはないが、「みんなのうた」の「メトロポリタン美術館」が子どもの頃大好きだったので、スゴイ興奮してしまった。 興奮しすぎて、ちょっと変なテンションになってしまい、ふと我に返ったとき多少気まずかった。
昨日(5月20日)の南日本新聞の一面を飾っていた一枚の写真に心惹かれた。 国史跡に白銀坂と龍門司坂 文化審が答申という記事だ。 私が心惹かれたのは、その加治木町にあるという龍門司坂(たつもんじざか)という坂が、苔むした石畳でできていたからである。 隠れ「苔むした石(岩)愛好家」というのは、結構たくさんいるのではないかと思う。 今回私はその250万乙女の一員として龍門司坂に行ってきたのである。  その前に近くにある龍門滝(龍門滝)に寄ってみた。 近くで見るのは初めてだ。 私が滝を撮ったり、たんぽぽの綿毛を撮ったりしていたら、旦那はカップルの記念撮影を頼まれていた。 観光地や名勝地に行くと、旦那は大抵2~3組のカップルから記念撮影を頼まれる。面白い。 また、初心者用のデジタル一眼レフカメラをぶら下げているので、その道の先輩方からアドバイスを受けたりもしている。 「下に降りたほうが迫力のある滝が撮れるっておじちゃんが教えてくれたよ」 と言うので、降りてみた。 確かに迫力あるけど、滝壺に近すぎて水しぶきが凄い。 レンズが心配だ。 滝に背を向けてスタンバイして、振り返りざまシャッターを切るという撮法をとってみた。 精一杯撮ってみたけど、 おじちゃん、これでよかったけ? さて、そこから700mほどはなれたところにある龍門司坂である。 坂と名が付いているからには、勾配があり、結構な登り坂である。 どこから湿気がくるのか、足元が石畳になるやいなや、もう苔むしている。 そこかしこに「すべります注意」の看板が置かれている。 思わぬところで滑ったりするので大人たちがおっかなびっくり歩いている横を、子どもたちが小鬼のようにすいすいと登っていく。 緑色の石畳に興奮して写真を撮っていると、 「この辺より、上に登り切ったあたりのところのほうが、苔の緑も、杉の巨木も綺麗よ」 とおばあちゃんが教えてくれた。 確かに登り切る手前あたりの苔は緑の度合いが他の場所よりも深くて、水を湛えてじんわりとしていた。 帰り道は当然だが下り坂で、往き道よりなお滑りやすい。 「石と石の境目につま先を入れて、石を掴んで歩くんだよ」 と、旦那が教えてくれた。  本日の農機具→
 鹿児島市下福元町にある慈眼寺公園のあじさいロードを偵察に行ってみた。 結果は・・・ 1~2分咲き(ぐらい)!今週の台風1号の影響による雨続きに誘われて、慌てて咲き始めたような、そんな感じだった。  (あじさいロードの様子はこちら→) 花はまだまだ小さく、握りこぶし大ぐらい。瑞々しい花びらの発色は素晴らしく、見ていて心がすく思いであった。  ただ、まだ多くの花が、次の雨、また次の雨を待ちこがれているように蕾を膨らまし始めたところのようだった。  咲きたての花は、薄緑から薄い水色に染めはじめの色が何とも可愛らしく、 花嫁衣装に着替えたてのお嫁さんのような、こっちが照れちゃうほどの可憐さであった。  なんとなく、露出をマイナスにして撮るのが好き。
5月14日の記事「 トレドミンの副作用」にて、何気なく 洗濯物を畳む旦那 という単語を入れたら、旦那の株が上がってしまった。 てやんでい。である。 旦那の株が上がりっぱなしなのも悔しいし、かといって私の株が上がりそうなネタもない。 そういうわけで、旦那の株が大暴落するするような記事を書こうと決めた次第である。 そしたら相対的に私の位置もあがるじゃん。「くりぃむしちゅー」の有田方式である。 アイツはね・・・ アイツはね・・・ ルーズソックスを愛用していた時期がある! ルーズソックス ルーズソックスルーズソックス(和製英語 loose socks)とは、本来はアメリカで製造され、輸出されていた登山用の靴下、ブート・ソックスのことである。 日本においては、女学生、主に女子高校生の間で、制服の逸脱したファッションとして採用され、長期にわたる流行の後に定着した。ルーズソックスという呼び名は、履いている靴下の状態が「ルーズ」(loose)であるからといわれている。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』) どうだ! さすがに可哀想なので補足↓ 二年前の十月、旦那はバレーの試合で足を捻り、左足首の靱帯を損傷してしまった。 それで一ヶ月ほど左足の膝下をギプスで覆った生活をしなければいけなくなったのである。 旦那は靱帯損傷。松葉杖。 妻はうつ病(双極性障害) 今思えば結構ヘビーな状況である。 しかし、日々の暮らしというものは容赦なくあるもので、旦那は仕事に行かなければならない。 私はユニクロでワイドなパンツを購入した。ギプスをはめたままでも楽に仕事ができるようにと思ったのである。 しかし問題が発生した。 旦那の職業柄、砂埃やほこりを被って、ギプスがかなり汚れてしまうのである。 ギプスにカバーをかけなければならなくなった。 しかし、普通の靴下では当たり前だがギプスに入らない。 穴があいて使い物にならなくなったスゥエットパンツを切ってカバーをこしらえてみたが、何とも滑稽な見た目である。 さらしを巻いてもいいが、仕事中にほどけてきてしまうかもしれない・・・ さんざん悩んだのだが、なかなかいい案が浮かばない。 そんなとき、アタイの頭に、シュピーンと閃くものがあったのである。 ルーズソックスならいんじゃね? アイツなら、スーパールーズなら、ギプスに入るんじゃね? 早速旦那に提案。 「え~、そんなの俺いやだよ~」 無視して近所のダイエーに行ってみた。 無い! 流行を過ぎたルーズソックスは、靴下売り場のどこにも売っていなかったのである。 あんなに一世を風靡したくせに、必要なときに手に入らないなんて・・・ しかし、こんなときの私は、ヘビのようにしつこいのである。 「普通の靴下よりも締め付ける力が弱いため、脚がむくみがちなお年寄りに好まれ、介護現場で重宝されている」 との情報を手に入れたのである。 母に電話し、母の行きつけの洋品店で無事入手してもらうことができた。 その日から、旦那は 「片足だけスーパールーズを履く男」 になった。 履いてみると結構良かったようで、 「違和感もないし、見た目普通の靴下に見えるし、何よりギプスが汚れなくて助かるよ」 と喜んで使ってくれた。 スーパールーズは、その後ギプスが外れるまで我が家にあり、その後、使い古しで悪いんだけど祖母に使ってもらうことになった。 そのときも、姉の目にとまり、 「ちょっ! これルーズソックス! これちょっと貸して!」 と異常に興奮されたのである。 だから、何に使うの・・・?
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